あたまのなか研究室

ピクルス(2代目)とぶらいあん(初代)の研究室です。

最悪の邦題が示す最悪の状況について(考えないということがもっとも最悪であるということ)

 #オリヴィエ・アサイヤス『(Clauds of) Sils Maria』が『アクトレス〜女たちの舞台〜』になったことについて、映画ファンが「酷い邦題」「こんなタイトル認めたくない」というのは、映画好きとして気持ちはとても良く判るけれども、それだけで終わるのはどうかなとも思います。

 なぜこういう事態になっているのかという危機感がないことに問題があるように思います。つまり現状の「(ハリウッド以外の)洋画に観客が入らない」という深刻な状況において「映画好きから見ればいくら見苦しくても、観客に伝わる判り易い題名にせざる得ない」現実がここまでになっているということ。

 近年ヨーロッパ映画の邦題が「地名以外は邦画にみえる程判り易い日本語」になっているのは、洋画の宣伝が行き渡らないために題名の宣伝要素を重視せざるを得なくなっているからです。とにかく知ってもらうこと。予告篇とかチラシを取ってもらうとか以前の話です。何も知らない人に認知してもらうこと。

 近年ずっと続く「邦高洋低」に去年はストップがかかった、という報道もありましたが、あれは何本かの大ヒットハリウッド映画によるもので、ハリウッド以外の洋画については興行的に増々厳しくなっているのは熱心な映画好きならご存知でしょう。ミニシアターの状況は常に厳しいのはずっと変わりません。

 いまミニシアターでヨーロッパ映画の主な観客はシニア女性です。この世代のおかげでかろうじてミニシアターは保たれていると言っていいでしょう。「いやいやシニアじゃないけどいっぱい観てるよ!」という熱心な映画好きは全体からみればほんのわずかです。だから他の世代、特に若者を呼び込まないと。

 そのためにミニシアターは色んなイベントや企画を模索しています。若者向けの特集上映やオールナイトを頻繁に行うとか、学生料金を安くするとか、初心者向けのイベントを無料で行うとか、そういったことです。だから劇場は未来に向けて何とかしようと頑張っているのです。では振り返って映画ファンは?

 ここからは個人的な所感ではありますが、映画を沢山観る熱心な映画好きになるほど「映画を観ることばかりに生活の全てをつぎ込んでいるために」映画を観る以外のことはあまり考えなくなるように見えます。いかに効率的に観るか、いかに1本でも多く観るか。映画を多く観るほど視野が狭くなる典型です。

 これは自戒をこめた話ですが、私たち映画ファンは、目の前の映画を楽しむだけではなく(それも大事なことですが)、映画を届けている側にも目を向けて、現状における危機意識と、どうすれば今後良くなっていくか、を常に考えていく必要があるんじゃないかと思います。だからまずは認識することが大事。

 (2015年7月5日、Twitter初出)