あたまのなか研究室

ピクルス(2代目)とぶらいあん(初代)の研究室です。

「旅するW座」と「映画の価格」と「ミニシアター巡礼」

 本日、安西水丸さんの訃報が伝えられました。今月19日に71歳で没したとのこと。まだまだ若い年齢です。

 私はご尊顔を拝見したのは一度しかないのですが、その「旅するW座」の第1回公演(第七藝術劇場)におけるトークの脱線ぶりは印象深いものでした。

 今回は、水丸さんのイラストレーターや作家としての生前の業績に触れることはせず、「旅するW座」について書きたいと思います。

 ご存じない方のために簡単に説明しておくと「旅するW座」というのは(私は拝見したことがない番組なのですが)小山薫堂氏・安西水丸氏によるWOWOW番組「W座からの招待状」の全国出張版として、各地のミニシアターで未公開の映画を「順番に」「無料で」公開していくというものです。

 第1弾『愛のあしあと』(2012年11月〜13年1月)に始まり第5弾『シャボンの背中』(2013年10〜12月)まで実施されています。(この間、一ヶ月以上間を置くことなく行われていましたが、昨年末で止まった状態です。これが休止なのか終了なのかは公式サイトにも特に記載されていないので現時点ではわかりません)

 私はWOWOW視聴環境がないのですが、たまたまナナゲイで無料上映会があるということを知り、第1回上映の『愛のあしあと』を観に行きました。映画は非常にいい作品でした。

 しかし私が驚いたのは、無料上映かつトーク付きでありながら、観客が満席にはほど遠い程少なかった、ということです。

 宣伝があまりなされてなかった、ということはあるでしょう。(そもそも無料だから宣伝費はほとんどないはず)
 しかし、WOWOW(の番組内)では宣伝されていたでしょうし、映画館にも事前に告知はありましたから、少なくとも熱心な映画好きの間では認知があったであろうと思います。
 上映作品がどんな作品か詳細な情報がなく、面白いのかどうかわからない、というのもあったでしょう。
 いや、それにしても無料なのだから、外してもいいだろうくらいの感じで行けばいい、と思ったりもするのですが。

 ここで思うのは「無料だから行く」という考え方に対して「無料だから行かない」という考え方もあることです。
 そのことに気づいたのはここ数年のことですが、「価値がないから無料なのだ(ろう)」と思う人が意外と多いようなのです。

 物の価値を測るとき、例えば「100円のみかん」と「200円のいちご」があるとすれば「200円のいちご」の方が「100円のみかん」より「2倍の価値がある」と考えるのは、あくまで「市場価格という世界においての価値」に過ぎないということを忘れがちです。
 実際に「200円のいちご」が「100円のみかん」の「2倍おいしい」という訳ではありません。
 単に「200円のいちご」は「100円のみかん」より「手に入りにくさ」が「だいたい2倍くらい」であるということにすぎません。
 「1万円の高価な食べ物」が「100円の安価な食べ物」より「100倍おいしい」という訳ではありません。

 更に言えば「同じ価格で売っているもの」が「購入者にとって等しく同じ価値である」とは限りません。
 
 かつて知人が「ビートルズのCDが2000円とか1500円とかで安く売られるのは納得がいかない。ビートルズには3000円以上の価値がある」と言って、ハッとしたことがあります。
 ビートルズに高い価値があるというのは(全員ではないにしても、音楽好きの中の多くの人にとって)その通りだろうと思います。しかしながらモノは「大量生産されると安くなる」というのが市場原理。だから人気が高く売れているビートルズ(のCD)は「市場価値」としては1000円であってもおかしくない。
 (減価償却されると原版制作費など初期費用分の負担がなくなり、あとはささやかなプレス+パッケージング費用と印税(と流通にかかる経費)くらいになるからです)
 逆にマニアしか知らないようなアーティストのCDが3000円であったりするのは別に「ビートルスの3倍の価値がある」からではなく、「ビートルズより何倍も売れない」から高価になるというだけです。

 要するに、あるモノの「市場価値」と「自分にとっての価値」は基本的に別物であるということです。だから私たちはモノを買うとき、その価格(市場価値)が「自分にとっての価値」より高過ぎないかどうかで買うかどうかを判断するのです。

 ちょっと前置きが長くなってしまいました。

 映画館における映画料金の価格も本来は同様のことが言えます。「原版制作費が高い」「広告費用が高い」映画は価格が上昇する。しかし「観客が多い」映画は価格が下降する。ハリウッド映画は「原版製作・広告費が高いが、観客が多い」のにインディペンデント映画は「原版製作費・広告費が低いが、観客が少ない」ことで、費用的には大きな差はありません。(厳密に言えば、ハリウッド映画はヒット・不入りによる波が激しいが、1本の大ヒットで何本もの不入りをカバーでき、またTV放映権やDVD販売などの二次使用で赤字も補填できるが、インディペンデント映画は、おそらく制作費はほぼ持ち出しなのでギリギリ、よほど観客が入らない限り基本赤字でしょう。ある意味ほとんど波がなく低いところで安定していると言えます)

 また映画館という観点でみると、コンセッションや売店の売り上げなども絡んでくるので、一概には言えませんが、業界として一律(日時や立場によって割引料金があるにしても、個別の映画についての価格差はないのが一般的)になっているのは「業界の慣例」に過ぎないと思います。例えば書籍のように「ページ数によって」「発行部数によって」価格を変えることは、映画でも(「上映時間によって」「予測される観客数によって」)不可能ではないのです。それをしないのは、業界の慣例であり、あえて変更することでの(運用やシステムの変更における)混乱を避けるためでしょう。私には「一律」と「作品固有」のどちらが良いのかはわかりません。(予算計画を立てるのは一律の方が便利ではありますが)
 
 結局のところ「映画の価格が高い」のはつきつめれば、「観客が入らないから」です。シネコンでもミニシアターでも満席になるよりガラガラの方が圧倒的に多いはずです。ただし、ほとんどの人は初日とか土日とか安く観ることができる日に行くことが多いので気づきにくいのですが、ガラガラの映画は「誰も観に行かないからガラガラであることに気づきにくい」のです。
 仮に今まで年に1本、月に1本、週に1本観ていた人が2本にしたとしたら・・。映画料金の価格は下がる可能性はあると思います。

 価格の話も長くなってしまいましたね。これはまた別の機会にでも。

 さて、「旅するW座」の公式サイト(http://www.wowow.co.jp/movie/wza/)をみれば判りますが、これはまさしく「ミニシアター巡礼」です。各地のミニシアターをたずねあるくというのは、書籍ではありますが、それでももっと多くの映画館を対象に行脚している、というのは今までほとんど例がないのではないか、と思います。
 インディペンデントの作品は、こういったミニシアターで上映されることがほとんどですが、それでもここまで様々な映画館で1つの作品がかかることはないでしょう。「旅するW座」も1作品ではありませんが、「旅するW座」という一つの看板で各地を廻るという意味では、やはりかつてほとんどなかったことと言えるのではないでしょうか。

 公式サイトの今までに開催された劇場をみていると、日本には様々なミニシアターがあり、それを支えている人たちが多くいるのだ、ということを思い起こさせてくれます。できれば、今後もこの企画を続けていって、全国にはまだまだたくさんのミニシアターがあるんだという存在感を伝えていってほしいと思ってやみません。

 (2014年3月24日)