あたまのなか研究室

ピクルス(2代目)とぶらいあん(初代)の研究室です。

30年後の『家族ゲーム』

 先日、塚口サンサン劇場で観た『家族ゲーム』について。

 何しろ有名な作品であり何を今さら的な話になるが、存在をずっと知っていながら初見なので少し書くことにする。
 (まあ最近は、公開当時から知っていてようやく観た映画が多いのですが)

 この映画は一言でいうと「既に崩壊していることに気づいていない家族が、部外者に引導を渡される」という話である。
 要するに、『北斗の拳』のケンシロウの「おまえはもう死んでいる」である。
 (『北斗の拳』連載開始がこの映画の公開年と同じなので、すでに多くの方が指摘していることであろう。確認してないけど)

 それにしても恐ろしいのは、おそらく公開当時の大多数の観客にとって「家族崩壊は特別な人の話」という他人事(という意識)であったはずで、劇中で何度か言及される「金属バット殺人事件」によって「不穏な影」が忍び寄っていることに無意識に気づいているのは、ほとんど劇中の人々だけであった。

 そして30年後の現在、「家族崩壊」は、ほとんどの観客にとってどこにでも存在する身近な出来事である。
 この状況において『家族ゲーム』は、30年前のインパクトを持ち得ないなくなったことは皮肉であり遺憾である。

 しかしながら「家族崩壊」を描いたインパクトは薄れても、人間描写、そして人間関係の描写を生理的に戯画化して表現する面白さ(時には滑稽に、時には不快に)はなかなか他の映画では思いつく事ができない。

 そういう意味でもこの作品の優れた人間描写は、今後も日本映画史に残りつづけるであることは間違いない。

 最後に念のために付け加えておくと、30年前の観客は「家族崩壊は特別な人の話」という意識だと書いたけれども、これは劇中の家族と同じく「多くの観客は既に自分の家族が崩壊していることに(この時点では)まだ気づいていない」だけだった、ということに留意すべきである。この映画は「崩壊前」の映画ではないのであり、そこがこの映画のもっとも優れたところである、ということに。

 (2013年8月29日)



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