あたまのなか研究室

ピクルス(2代目)とぶらいあん(初代)の研究室です。

捏造される記憶、抑圧される体験〜『お早う』におけるある夫婦の「戦争」と「戦後」

 小津安二郎『お早う』は、新興住宅に住む4つの家族が主な主軸となっている。
 同じ住宅に住むアプレ夫婦は途中で退場してしまうので数に入れない。
 4つの家族には4人の子供いる。しかし話の中心となる笠智衆の一家は2人兄弟なので、1つの家庭だけ子供が登場していないことになる。
 東野英治郎と高橋とよの夫婦がそれなのだが、最初私はなぜここの家族だけ子供がいないのだろうと漠然と思っていた。
 (当時は一般的に「子供を作らない」というのはよほどの理由があったはずである)

 最初に『お早う』を観たとき、ゲストトーク内田樹さんが登場されたのだが、その中で、笠智衆と酒を飲んでいる東野英治郎の「30年間通勤電車に揺られて」という発言を「記憶の捏造」だと断じて、ハッとした。
 以下は、内田樹さんが語らなかった、「捏造の理由」について考察したものである。

 土曜日の夜、『お早う』を観た私は、次の日の朝に再び『お早う』を観た。これ自体はもともと時間の調整からくる軽い気持ちであったが、2回目にはやはり発見があった。

 東野英治郎と高橋とよの家の中が写る場面が2カ所だけあるのだが、ここに重要な意味が隠されてることに気づいたのである。
 (他の家庭もそうだが、勝手口で話す場面はやたらあるが、家の中が写る場面は、特にこの家庭においては極端に少ない。それはこの映画の導線が子供であるためである)

 1つめのシーン。笠智衆が訪ねてきた時に東野英治郎が猫を抱いて出て来る場面。
 2つめは、東野英治郎が家に帰って来て、高橋とよがこちらに振り向いて返答する場面。

 1つめは、一見、「ウチの猫がくわえてきた魚、返そうかしら」の笑いを受けたもののように見える。
 だが、それだけではない。

 そして2つめの場面。最初高橋とよはこたつに入って左側を向いている。呼びかけられてこちら側に向く。
 呼びかけられるまで、高橋とよは、何をしていたのか?
 (左側は障子で隠れて彼女の視線の先は見えない)
 誰かがいる訳でもないが、彼女はずっと左側を見ていた。これは何か。

 音は聞こえないが、これはテレビである。恐らくこの夫婦はまだ高価な時期にすでにテレビを買っている。

 1つめの猫と考えあわせると、この夫婦には、子供がいない。だからその寂しさを埋めるためにペットやテレビがある。そう考えた方が自然に思われる。

 では、この夫婦に最初から子供がいなかったかというとそれも考えにくい。
 劇中、東野英治郎は定年になり再就職する。つまりこの映画が公開された1959年に55歳ということになる。
 終戦時、彼は41歳である。そのとき18歳以上の息子がいたとして不思議はない。
 従って、彼の息子は従軍しているはずである。

 東野英治郎の現在の記憶の中では戦争期が欠落している。これはなぜか。
 息子が戦争の為に死んだからである。

 しかし、当時息子が戦死した家族は珍しくなかった。それを他人に言えないほど辛い記憶として残った理由は何か。
 息子は戦死しなかったからである。

 息子は戦争の為に死んだ。でも戦死ではない。訝る方もおられると思う。
 「お国のために戦死した」なら哀しくても自慢できる。しかし「恥」と思えるほどにその記憶を抑圧せずには入られなかった理由があるとすれば、それは「息子が戦犯として処刑された」からだという推測が成り立つ。
 「上官の命令で行ったこと」が戦犯として裁かれたことは『私は貝になりたい』でもご存知の通りである。

 この夫婦は、息子はいなかった、戦争とは関係なかった、そう思い込むようにして、戦後、近所の噂で居られなくなった土地を後にして、この新興住宅街に越してきた。そして「戦争にまつわる記憶」をリセットした。そう考えてみると、東野英治郎の発言も理解ができる。
 また、抑圧されながらも「子供のいない寂しさ」は、ペットやテレビで埋めることができず、この映画の冒頭から、近所に不穏な噂を流して憂さを晴らす高橋とよの行動(ターゲットは子供がいる幸せそうな家庭。最初の標的一家はかわいい子供が二人もいる!)の理由が「嫉妬」によるものだとすぐに理解することができる。

 もちろんこれはただの推測にすぎないが、表面上なかなか戦争について描かない小津安二郎が、ここまで戦争の後遺症に苦悩する夫婦を描くとすれば、こういったすれすれの方法がもっとも彼らしいと思えるのである。

 (2013年8月15日+2日)

 ※文中に「高橋とよ」と記載があるのは「長岡輝子」でした。訂正します。ごめんね。