あたまのなか研究室

ピクルス(2代目)とぶらいあん(初代)の研究室です。

『THE GRAY 凍える太陽』という映画

 『THE GRAY 凍える太陽』(THE GRAY,2011)という映画を観た。

 久しぶりに前知識も先入観もまったくない状態で観た。
 というのも、これを上映していたシネコンでは、この映画の予告篇はもちろん、ポスターやチラシなど一切見かけなかったからである。
 唯一の情報は、映画館のサイトでこの映画をクリックすると出てくる数行の解説と1枚のイメージショット。
 ここに何て書かれていたかは忘れてしまったが、とりあえず暗めのアクション映画っぽいことだけはわかった。
 これをみておいて良かった。実は、これをみるまで、これは日本のミュージシャンのライブシアターの類いだと思っていたのである。

 最近、ライブシアターが多い。単価が高いから普通の映画より儲かるんでしょうね。動員数はよく知りませんが。

 で、本作であるが、ひとことで言うと、フライトパニックものであり、動物パニックものであり、サバイバルものであり、動物格闘アクションでもあるが、実のところは「生と愛についての映画」であった。

 この映画では「人は、死を覚悟したときに何を思うか」ということが繰り返し描かれる。
 主人公が死を覚悟して最後の戦いに挑もうとする。その少しまえ、仲間たちの写真(正確には彼らや彼らの家族の写真)をみながら涙を浮かべる。(正確には浮かべてなかったかもしれない。でも泣きそうだったのは間違いない)
 これは、告別の行為である。

 ここでハッとする。

 普通の娯楽映画というのは、どんどん人が死んでいっても、ほとんど見返られることはない。「主人公は逃げることに必死だから」「主人公以外は重要な人物ではないから」というのが映画としてのエクスキューズである。しかし現実的にはそんなことはない。そういう状況におかれたとしたら、一息ついたとき、死んでいった友人のことを思い出して、彼らのことを考えるのが自然である。

 この映画が娯楽映画の要素を多分に持ちながら、核となる部分で人間ドラマとして成立(しようと)しているのはそういうところにある。

 この映画では、主人公や死を意識した男たちが思い浮かべるショットが何度も挟まれるが、それが効果的だったとわかるのは映画を見終えたあとだった。
 娯楽映画として観た場合、つっこみどころも色々あるが、あくまで娯楽映画として許容の範疇ではある。

 観終わったあと、心の奥にざらざらした、少し甘くて苦い何かが残るような、そんな映画だった。


 さて、以下は余談であるが、エンドロールをみていると、プロデューサーの中にリドリー・スコット、エグゼクティブプロデューサーの中にトニー・スコットの名前があった。

 先日他界したトニー・スコットの監督としての遺作は日本では正月映画としてスマッシュヒットした『アンストッパブル』(2010)だが、プロデューサーとしての遺作はこれ。かと思って調べてみたら、2012公開〜公開待ちの作品が7作ぐらいあった。これでもTVシリーズは除いており、どんだけ関わってんねん!という感じである。

 実際にどれだけの映画に関わっていたのかはわからないが、おそらく近年の自分の仕事に満足してなかったのだろうな、と勝手に思ってしまうのだった。

 (2012年8月30日)

<追記>

 なんと!GRAYをGLAYと間違えていたので修正しました。「GLAY」という単語は存在しないんですね。これで、いかに英語が不得意かご理解頂けましたでしょうか。

 (2012年9月2日)