あたまのなか研究室

ピクルス(2代目)とぶらいあん(初代)の研究室です。

『トランス』とダニー・ボイル

 今回観客に評判のよいダニー・ボイル監督『トランス』を観たので、それについて少し。

 今回は娯楽作品としてよく出来ている。コン・ゲームとして気持ちよく騙される感じは近年のこの種の作品の中では良い出来だと思う。

 しかし不満もある。

 その不満において、ダニー・ボイルは、この作品をコン・ゲームとして描くあまりに、登場人物が「完成されるべきピースのひとつ」にすぎない、つまり人間描写が弱くなっているように感じるのだ。

 だから先に「娯楽作品として」よく出来ている、と書いたのである。


 << 以下、核心に関わるネタバレになるので、まだ本作を観ていない方はご遠慮頂くようお願い致します >>

  結末の内容をすべて書く訳ではありませんが、ここに触れると、観ている途中に結末に気がつく可能性が高いためです。

  注意しましたので、読んでしまってからのクレームはおやめ下さいませ。

 << 以上、警告終り >>

 不満というのは、物語上、極めて重要な部分において、ちょっと強引と思われる箇所があるからである。

 「セラピストが患者と治療期間中にデキてしまう」というのは、一般的にはまずあり得ない。
 特にこの作品の場合、「極めて優秀な女性セラピスト」と「なかなか治らないギャンブル依存症の男」だからなおさらのこと。

 可能性ゼロとは言わないが、「現職刑事の殺人事件」より少なく「現職刑事のシリアルキラー」よりは多いくらいのものだろう。
 何しろ彼女は「自分の思い通りに相手を支配できる存在」であり「相手の心を読むことに関しては相当に長けている」のである。
 そんな女性が、ダメダメ君に惚れたりするだろうか?

 もちろん、必然性があるとする場合もありうる。それは「彼女がダメ男しか好きにならない女」だったという可能性である。
 その可能性がない訳ではない。(ラストもちょっとそんな匂いがしないでもない)

 しかしながら、もしそうであるならば、彼女は「自分を客観的に捉えることができず、律することも出来ない女性」ということになる。
 そんな女性は世の中でいくらでもいるだろうが、少なくともそんな女性が「極めて優秀なセラピスト」になり得るだろうか?
 (セラピストといのは「お勉強」を積むだけでなれるような職業ではないだろう。特に成功を収めた優秀な場合ならなおさら)

 いずれにしても物語の進行上「ふたりが恋愛関係になる」必要があった。そうでないと物語が成立しない。
 しかしそれは少々強引であった。

 ダニー・ボイルは今まで娯楽作品であっても、人間描写に深みがある演出をしてきたと思う。
 しかしながら、今回は、コン・ゲームとしての作品を優先するあまり、結果として「登場人物が物語を動かすためのコマ」に過ぎないように見えてしまったのは残念である。

 しかし、多くの観客は、ドライブをかけた目まぐるしい展開のあまり、そのへんはさらりと流れてしまっていると思う。
 (そこが、彼の演出の巧みなところでもある)

 最後にもう一度書いておく。『トランス』は、娯楽作品としてはよく出来ている。これは間違いない。

 (2013年10月22日)