あたまのなか研究室

ピクルス(2代目)とぶらいあん(初代)の研究室です。

小津安二郎『晩春』について

 『晩春』を観た。まったく初めてである。『麦秋』も続けて観た。これも初めてである。
 そもそもこの時期の小津作品は『東京物語』ぐらいしか観たことがないのだ。

 何となくではあるが『秋刀魚の味』のごとく「妻に先立たれた父親のために独身を貫く娘の話」かと思って観ていた。
 そもそも「紀子三部作」が全部そんな話だろうと特に根拠もなく思い込んでいたのである。

 しかし紀子が「父は自分がいないとダメ」という「依存される関係」と思い込んでいたのが、実は「自分は父がいないとダメ」という「依存する関係」であることに気づくところから話は転倒を始める。

 それまで不自然なくらい(というかある種の不気味さを感じるくらい〜特に自転車のシーン〜)スクリーンに笑顔を振りまいていたのが、後半暗い表情から時に鬼の形相に見える場面にまで本人は追い込まれる。

 とうとうあきらめて縁談の話を受け入れたように見えたが、独身最後の旅行で、ふたりきりの最後の夜、紀子は父についに本音を語る。
 「再婚してもいいから自分をずっとそばに置いてくれ。自分はあなたがいないとだめなのだ」と。
 再婚してもいい、自分はそばにいるだけでいい、というのは正妻でなくてもいい、2番目でもいい、世話をさせてもらえなくてもいい、そばでただ「存在していたい」それだけなのだ。この告白は極めて凄まじい。

 渾身の愛の告白であったが、娘の幸福を念じた父の諭しに、紀子は折れる。

 映画の最後に、紀子の友人との会話で、父は「再婚話はウソだった。そうでもしないとだめだった。一世一代のウソだった」と語る。

 この映画は、数々の批評家に語られているのであろうが、まさしく「プラトニック近親相姦映画」であった。

 ところで余談ながら、後の回のトークショーで「これは、女の求愛を受け入れることもできないのか!」という小津自身の断罪である、という話をされていた。

 しかし現実的に父は紀子の愛を(プラトニックであったとしても)受け入れる結末にすることができたであろうか。
 (原作『父と娘』は未見だが、おそらく同じように常識的結末であると思うものの、一般的に原作の改変自体は可能であろう)

 仮に小津本人にそのつもりがあってもこの映画では非常に難しかったのではないか、と感じている。

 この作品は「無意味なコカ・コーラの長まわし映像」や「紀子の友人が嬉しさのあまり紀子の父の額に思わずキスをする」など「GHQへのサービスショット」が見られる極めて1949年的な映画である。

 この状況下において、たとえ暗示的であるとしても近親相姦を肯定する作品を作ることが果たして可能であっただろうか。

 おそらく検閲や指示される前に自らシッポを振ってしまうような同調圧力が極めて強い状況において、やはり、それは難しかったのではないか、と思っている。


 紀子三部作について書くつもりが『晩春』だけに終わってしまった。

 以降はまた機会があれば書くかもしれません。

 (2013年6月30日)


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