あたまのなか研究室

ピクルス(2代目)とぶらいあん(初代)の研究室です。

『一番美しく』という映画の本質について

 以下は、Twitterにて発表したものであるが、あらかじめお断りしておくと、私は映画評論を基本的に読まない(老後の楽しみに取ってある、ということにしているが、今後読むことがあるかもしれない)ので、これについてはどこかで誰かが書かれている可能性は充分にあると思われる。ただし、あまり上映機会の多いとは言えない戦時中の戦意高揚映画なので、例えば黒澤明監督の戦後の作品に比べると、確率的には触れられることが少ないとも思われる。
 (もし、同じようなことを書いているのをご存知であればご一報頂けると幸甚であるが、ただし、これはこの作品に限った話ではない、ということは明らかにしておくことにする)


 『一番美しく』軍人を描かないでおきながらここまで国策映画であることに徹底した作品も珍しい。国策映画というのは「こうあって欲しい」「こうあるべき」「こうせよ」という意味で全てファンタジー映画である。全ての映画がファンタジー映画であるかどうかはともかく。

 しかしながらこの映画はリアリズム映画でもある。それはなにかと言えば、マスヒステリア(集団ヒステリー)を用いて洗脳された少女たちの姿を描いているからである。「◯◯のために自分を犠牲にしてでも尽くす」そのためには家族を捨てることも厭わない彼女たちは見事に洗脳されている。

 もしかするとこれを読んだ人の中には「バレーボールとかみんな和気あいあいと楽しそうじゃないか。洗脳なんてロボットみたいには見えない」と思う人もいるかもしれないが、例えば新興宗教における被洗脳者がその宗教で庇護されている間は「極めて幸せそうに見える」という事実を顧みよ。

 被洗脳者が動揺し、感情的にまたは時には狂ったかのように振舞うのは「洗脳者に見捨てられるかもと感じたとき」「奉仕のあまり健康状態が悪化したとき」「家族によって脱会させられるとき」この3点はこの映画の少女たちにおいて描かれている状況であり、そこは確認しておくべきである。

 またこの作品のうす気味悪さの一つは登場人物が全員「善意の固まり」のような極端な人間ばかりだというところで、これもまた「新興宗教の人たちは(内部で従順である限りにおいては)みんな善意あふれる優しい人に見える」ということと無関係ではない。一見ファンタジーだがリアリズム。

 冒頭で印象的な場面がある。朝礼で所長が新訓示を垂れている間、起立したまま傾聴している少年たち(少女ではない)の姿は「本物の学徒勤労動員」であろう。本篇の中で唯一浮き上がるあのショットは、この映画が国策ファンタジー映画を装ったリアリムズ映画であることの宣言なのである。



 <オマケ>

 彼と知り合って間もない女性には『一番美しく』(シネ・ヌーヴォ)を一緒に観るのがお薦め。この映画を観た女性の極めて正常な反応は「ありえない、こわい」であるが、彼の反応が「みんないい子だなあ」なら、女性に従順さを無自覚に求めてくる現実知らずの男なので、早いうちに見切りをつけましょう。

 ヌーヴォで『一番美しく』を彼と一緒に観たとき「あの状況になるとあんな風になっちゃうんだね。怖いね」ならまずまず合格。しかし女性が観て「素敵。私もあんな風に頑張らなくては」と思ってしまったら、残念ながら貴方は「なぜかいつもダメ男ばかり捕まえてしまう男運のない女」です。お気をつけを。

 (2014年11月1日、2日、3日、Twitterにて発表)