あたまのなか研究室

ピクルス(2代目)とぶらいあん(初代)の研究室です。

8月のある日観たふたつの映画

 朝、梅田ガーデンシネマで『ひろしま 石内都・遺されたものたち』を観る。

 広島に原爆が投下された時に遺された遺品数十点。
 古い写真では何度も見てきた「ひろしま」の映像が、そのとき存在した「もの」として目の前にあるとき、六十何年という時間を越えて、「いま、ここに存在する」という現実、その実感に打ちのめされる。
 「原爆投下」という出来事とその結果が「いま、ここに、目の前に」存在するということ。
 時間を越えて繋がる、これは歴史でも何でもなく、あのときからずっと続いている「いま」なのだ。

 夕方、神戸映画資料館で『野獣達のバラード〜ありふれたファシズム』を観る。

 これだけ綺麗なフィルムを観ると「これはフィクションではないか」とまで思ってしまうのは「昔の映像=白黒で粗悪な画質」の先入観があるからで、それにしてもヒトラー達が眼前に迫ってくる感じがひどく人間くさく思えて「恐ろしく感じない」自分の感覚が恐ろしい。
 ナレーションは「これはもう人間ではない。鬼畜だ」というけれど、残虐さも人間の性質のひとつと認めない訳にはいかない。(もちろん肯定しているのではない)

 そして、侵略した地で殺した人間の遺体と誇らしげで無邪気に記念撮影するドイツ兵を見て、もうこれは戦争中の日本兵そのものではないか、と暗い気持ちになった。

 ファシズムは常に、自分の中にある。それを自覚しない限りファシズムはなくならないし、なくなっても亡霊のようにまたすぐに現れることだろう。

 なお、本作ではあまり触れられていなかったが、ナチス政権が市民の信任を得たひとつの大きな理由は当時の不況からの驚異的な経済復興だった。
 そして、私が住んでいる国が現在進めている中身のない経済成長戦略を必死になって進めている理由は、このあたりにもあるだろうと、そう思っている。

 (2013年8月15日+1日)