あたまのなか研究室

ピクルス(2代目)とぶらいあん(初代)の研究室です。

清水宏監督作品本数から見えること

 清水宏監督作品は、共作や短篇やドキュメンタリー含め、163本あると言われています。

 今日は、この本数を年度別に集計してみました。
 これにより、いくつか見えてくることがあります。

 初期(特に最初の10年)の多作ぶり。(1924年、監督は21歳!)
 日本映画におけるサイレントからトーキーへの移行の様子。
 (ハリウッドでは1927年に登場後、1929年に移行完了)
 トーキー移行の端境期におけるサウンド版、パートトーキーの出現。
 戦局の悪化に伴う制作本数の激減ぶり。などなど。

 それにしてもサウンド版を含むと実に100本近くが無声映画です。
 今回、シネ・ヌーヴォでの生誕110周年記念特集上映28本で唯一のサイレント『岐路に立ちて』が59本目ですが、特集上映作のトーキー2本目『有りがたうさん』は、既に106本目です。

 清水宏の全貌を捉えようとすればこの膨大なサイレント作品を避けて通ることはできないでしょう。
 果たして、今後観ることができる機会があるのかどうかは見当もつきませんが・・。

 しかしながら、円熟味を増した戦後の独立後の作品も面白いし、実際に観るまでは想像もつかなかった、ロケーションを多用した30年代のトーキーは信じ難いくらいに面白い!

 まるで、「音の付いたサイレント映画」を観ているようです。
 (「それがトーキーだろ!」というツッコミはなしで。あくまでサイレント映画、動く写真という意味重視の表現です)

 以上、参考までに。

公開年 無声、サウンド版、パートトーキー、オールトーキー(総合計)

1924年  6、0、0、0(  6)
1925年 10、0、0、0( 16)
1926年  8、0、0、0( 24)
1927年 10、0、0、0( 34)
1928年  9、0、0、0( 43)
1929年 13、0、0.0( 56)
1930年  9、0、0、0( 65)
1931年 10、0、0、0( 75)
1932年  6、2、1、0( 84)
1933年  2、3、0、1( 90)
1934年  0、6、0、2( 98)
1935年  0、2、0、3(103)
1936年  0、0、0、7(110)
1937年  0、0、0、6(116)
1938年  0、0、0、5(121)
1939年  0、0、0、5(126)
1940年  0、0、0、5(131)
1941年  0、0、0、6(137)
1942年  0、0、0、1(138)
1943年  0、0、0、1(139)
1944年
1945年  0、0、0、1(140)
1946年
1947年
1948年  0、0、0、2(142)
1949年  0、0、0、2(144)
1950年  0、0、0、1(145)
1951年  0、0、0、2(147)
1952年  0、0、0、2(149)
1953年  0、0、0、3(152)
1954年  0、0、0、2(154)
1955年  0、0、0、2(156)
1956年  0、0、0、4(160)
1957年  0、0、0、1(161)
1958年  0、0、0、1(162)
1959年  0、0、0、1(163)

 (2014年2月10日)