あたまのなか研究室

ピクルス(2代目)とぶらいあん(初代)の研究室です。

梅田を中心とする大阪市の主な映画館状況の変遷(90年代以降)

 <1990年以降における、主に梅田における映画館の閉館と開館>
 (⚪️=開館、△=変更、×=閉館。※成人館のぞく)


 ⚪️1989or1990年 ミニシアター「シネマ・ヴェリテ」開館。(数年後閉館)
 ⚪️1990年 「サンボードシティ」開館。
 ⚪️1990年4月 チェーン系ミニシアター「テアトル梅田」(2シアター)開館。
 ⚪️1991年 シネラマ館「OS劇場」閉館。
 ×1992年 梅田コマ劇場老朽化建て替えに伴い東宝系ミニシアター「梅田コマ・ゴールド」及び「梅田コマ・シルバー」閉館。
 × 1993年 大毎地下劇場閉館。(毎日文化ホール時期不明)
 ⚪️1993年 ヘラルド系(後の角川シネプレックスシネプレックス)「パラダイスシネマ」(2シアター)開館。(心斎橋)
 ⚪️1993年 サンビードアップルシティに改称され主に松竹系の作品を上映。1993年には「サンポード・アップルシアター」(1シアター)が閉館し、劇場を流用する形で「第七藝術劇場」(第一次)が開館。
 ⚪️1997年1月18日 独立系ミニシアターであるシネ・ヌーヴォ開館。
 ⚪️1997年 チェーン系ミニシアターである梅田ガーデンシネマ開館(2シアター)。
 ⚪️1998年 シネ・ヌーヴォ梅田開館。(シネマ・ヴェリテ跡地)
 ⚪️1998年9月23日 ナビオ3館(北野劇場、梅田スカラ座、梅田劇場)の7階に「ナビオシネ4」「ナビオシネ5」を開館。
 ⚪️1999年末 
 × 2002年 組織体制を一新し「第七藝術劇場」(第二次)を開館。
 ⚪️2000年12月23日 チェーン系ミニシアターである「シネ・リーブル梅田」(2シアター)開館。
 ×2002年2月28日 「梅田東映」「梅田東映パラス」「梅田東映ホール」(「梅田東映パラス2」)閉館。
 △2002年6月 松竹に譲渡され「パラダイスシネマ」は「パラダイススクエア」に改称。
 △2002年11月30日 ナビオの映画館がシネマコンプレックスに改装されナビオTOHOプレックスにリニューアル。
 △開館から3年ほどはシネカノン作品を多く上映していた。したが、2002年に組織体制を一新して「第七藝術劇場」(第二次)が開館。
 ⚪️「第七藝術劇場」(第二次)2005年9月にはいったん休館。
 ⚪️2005年5月5日 大阪三越取り壊しにより、大阪三越劇場閉館。
 ⚪️2005年12月、映画ファンと地元商店街による市民出資型映画館として「第七藝術劇場」(第三次)が開館。この頃からシマフィルムの代表を務める志摩敏樹が役員として関わっている。
 ×2006年3月31日 「パラダイススクエア」閉館。
 △2006年4月15日 エスピーオーに譲渡され「パラダイススクエア」はチェーン系「シネマート心斎橋」にリニューアル。
 ⚪️2006年 シネ・ヌーヴォに「シネ・ヌーヴォX」を新設。2シアター体制に。
 ×2006年9月26日 
 ⚪️2007年4月19日 なんばにシネコンなんばパークスシネマ」開館。(11シアター)
 ×2007年9月 東宝系館「三番街シネマ(1、2、3)が閉館。2は実質シャンテ・シネ系のミニシアターだった。
 ⚪️2007年10月1日「ナビオTOHOプレックス」8(う別記シアた−2)を「東宝シネマズ梅田」に変更。(別館含め10シアター体制)
 ×2010年7月 天六ホクテンザ閉館。
 ×2011年1月16日 下記の影響を受けて「梅田ピカデリー」(4シアター)閉館。
 ⚪️2011年5月4日 シネコン「大阪ステーョンシティシネマ」(12シアター)開館。
 ×2012年3月31日 天六ユウラク坐。
 ×2014年2月28日「梅田ガーデンシネマ」閉館
 △2014年3月1日「梅田ガーデンシネマ」の跡地(2シアター)を「シネ・リーブル梅田」に吸収譲渡し、4シアター体制に。
 △2017年10月「第七藝術劇場」リニューアル(第5次?)

 他にも詳しい情報があればご指摘・ご教示頂ければ、追記・修正致します。

 (2008年5月29日)