あたまのなか研究室

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恐るべき「大ヒットソング」映画『帰って来たヨッパライ』

 大島渚監督作品『帰って来たヨッパライ』は、当時大ヒットしたフォーク・クルセダーズの曲をフィーチャーし、グループのメンバー3人が主演、ビートルズ映画を模したGSグループの「何かの騒動に巻き込まれる逃走劇」というアイドルグループ映画的構造を用いて製作された1968年の作品である。
(フォークルは1年間限定でメジャーデビューし68年10月に解散した)

 が、政治的な理由で4日目で上映中止にされた映画監督が、政治的な理由で発売中止にされたバンドの映画を作るというのは、いわば時代の必然であった。
 実際「帰って来たヨッパライ」は何度か劇中で流れるが、彼らが劇中で何度か歌っているのは「イムジン河」だけである。この映画は「ヨッパライ」を看板にしているが、実態はむしろ「イムジン河」である。

 中盤で北山修が街頭で「あなたは日本人ですか?」と街行く人にマイクを向けて訊く。マイクを向けられた人は「私は韓国人です」と答える。「なぜですか?」「なぜなら私は韓国人だから」そう言われれば韓国人のようにみえる。
 しかし北山が次々にマイクを向けた人々は皆「私は韓国人です」と答える。
 「私は韓国人です」「私は韓国人です」「私は韓国人です」「私は韓国人です」「私は・・」
 そう言われてみるとみんな韓国人のように思える。だが、だんだん怪しくなってくる。みためでは判断できなくなる。この人たちは韓国人じゃなくて「韓国人みたいな日本人」なのではないか。いやもしかすると「日本人みたいな韓国人」なのかも・・。
 その中には明らかに日本人も入っている。少なくともにこやかに微笑む大島渚の姿は認められる。

 この映画を観ていると、だんだん「誰もが韓国人に思えて」来る。もしかしたら自分以外全員そうなのかもしれない。いや、自分だってそうではないと言いきれるだろうか・・。
 日本人と韓国人の違いは何か。「加害者と被害者」と言ってしまえばそれまでだが、結局の所大島はこの映画で「日本人も韓国人も人間としての違いはない。違いがあるのは政治的状況だけ」と言っているのである。

 それにしても、当時ヒット曲の映画ということだけで劇場に足を運んだ人々の中には呆然とした方も多かったのではと思われる。
 ある時期まで「韓国」「朝鮮」という言葉すら出すのも微妙に重苦しい雰囲気があったのだから。
 (それはこの映画の舞台である日本海に面した地域の描写が重く醸し出している物々しさでもわかる)

 なお、大島渚映画の慣例として女性の扱いはかなりぞんざいである。出演者の緑魔子の役どころもひどい設定ながら、彼女以外女性がひとりも登場しないという徹底ぶり(殿山泰司に女装までさせる)には、「(政治や社会を動かす)男の世界に女は不要」という印象を受ける。

 余談ながら、「ここより先は米軍基地外」という看板のショットは、揶揄を意図したものとしてはかなり痛烈。

 (2013年4月9日)



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