あたまのなか研究室

ピクルス(2代目)とぶらいあん(初代)の研究室です。

「SNSと映画館」(7)『ハンナ・アーレント』について

 『ハンナ・アーレント』について、前からちょっと気になっていたことがあるので、「SNSと映画館」に絡めて(ぎりぎりっぽいかもですが)連続ツイート用に書き続けていったら10ツイート以上になってしまったので、Twitterで発表するのはやめて、直接こちらに記載することにしました。

 それにしても、自分は「いくらでも書いてよい」状態より、「140文字制限」の方が合っているのだとつくづく痛感しました。

 本稿は、原則として、前回までの「SNSと映画館」を読まれたことを前提として書いています。


 『ハンナ・アーレント』は東京ではまだまだヒットしているのですね。大阪でもヒットしたようですが、東京ほどではないようです。で、なぜヒットしたのかというのが、よくわからないのです。「岩波文化人好きな映画」で片付けて本当にいいのかな、と思ってずっとくすぶっていました。

 「岩波文化人が飛びつく」→「岩波ホール連日満員」→「一般映画ファンにも波及」→「ロングラン」という図式でいいんでしょうか。仮にそうだとして、一般映画ファンに波及するプロセスにおけるSNSの影響はどうなんでしょう。岩波文化人がSNSで激賞し、一般映画ファンも同調?

 それだとネットに関係なく、「新聞や雑誌に権威者が賞賛し、それを読んだ普通の映画ファンが観に行ってヒット」という従来の図式と変わらない。せめて「普通の映画ファンが観に行って、よかったのでSNSで称揚、拡散」くらいには考えたいもの。20代が多ければその可能性はある。

 以降は個人的意見として読んで下さい。『ハンナ・アーレント』は確かに良い映画ですが、他の岩波(ホール)映画から突出しているほどとは思えません。「信念を貫いた実話」はよくある話です。それがユダヤ人哲学者だから素晴らしいのはわかりますが、突出しているとまで言えるのか。

 例えば私は『最初の人間』の方が数段優れていると思っています。『ハンナ・アーレント』における「ユダヤ人問題」「ナチス裁判」の方が「フランス・アルジェリア問題」よりも判りやすくてキャッチーだったからではないかと考えます。「反ナチでなく思考停止」というだけの話なのに。

 もし私の考えが正しいとすると、「岩波文化人もわかりやすい題材に目がいってしまいがち」ということになります。いま調べたら10年ぶりに土日満席ということですが、逆に言えば10年間1度も満席にならなかったのが不思議です。岩波文化人はこの10年間何をしていたのでしょう。

 岩波ホールで上映される作品は、どれも新たな題材、新たな視点を持った秀作が多いと思います。『ハンナ・アーレント』もその一つです。ではどうして今回だけと考えた場合、岩波文化人が大挙して賞賛したのでなく、いつもより少し多めに賞賛したのであれば、次のことが考えられます。

 つまり少々多めの岩波文化人の賞賛に、若い世代を中心とした一般の映画ファンが反応し、SNSを通じてその称揚が拡散した結果、観客が増え、また増えたことによって普通の映画好きも巻き込んで行列を作るまでのロングランになった、という仮説です。実際は客層によると思いますが。

 しかしながら、迷える映画好きは「自分が観たい映画」を常に探しています。自分が観たい映画は実際に見終わってみないと自分が観たかった映画とは判断できません。だからメンターが必要なのですが、メンターレス状況においては著名な賞や著名人の推薦などに頼ることが多いでしょう。

 身も蓋もない言い方をすると「権威に弱い」ということです。アカデミー賞を取った途端ミニシアターに人々が大挙して押し寄せるのは、人々が「自分が何を観たらいいのかわからないという病」に冒されているから。自分から探すということを放棄して、誰かの太鼓判を待っているのです。

 なので、結局のところは、以前から言っていることの繰り返しになりますが、「映画好きのためにはメンターが必要」ということです。そして、彼らよりも映画に少し詳しい私たち映画ファンは、彼らのメンターに選ばれるような存在になるべき。なのでSNSでの発言が重要だと思います。

 (2014年1月25日、Twitter未発表)