あたまのなか研究室

ピクルス(2代目)とぶらいあん(初代)の研究室です。

「SNSと映画館」(6)「親しい身近な人」について

 「SNSと映画館」1月16日のTwitterでの私の発言のまとめです。

 先のキネプレ記事、ヌーヴォ山添さんの文章で「特に、友達、同僚、家族など、近しい人から発せられる「声」は、他のどんな素晴らしい批評や宣伝文句よりも大きな影響力を持っています。」とありますが、これは重要な指摘です。今まで話した「信頼性」の話とも大きく関わってきます。

 「親しい身近な人が映画を薦める力が最も強い」のは、ひとつは「信頼性が非常に高い」ということ。「あのコがそんなに言うんだから面白いんだろう」そして多くの場合実際に面白い。だから『EDEN』は最終週満席の尻上がりヒットという「演歌チャート」のような動きをしたのです。

 これは信頼性の高い映画推薦者(メンター)に近い存在です。ただ理想的メンターは推薦映画対象が網羅的ですが、親しい人は単発的であることに注意は必要でしょう。また『EDEN』のように連日舞台挨拶と、お金はともかく手間がかかることを地道にやり続けたという背景もあります。

 親しく身近な人は「信頼性が高い」以外にもうひとつ重要な要因として「相手(の好み)を熟知している」ことが挙げられます。例え相手をそんなに信頼していなくても、普段近くにいてよく知っているので「あいつが面白いと言うんだからこれはつまらないだろう」という判断も成り立つ。

 逆に「あいつがつまらんというならば面白いかもしれない」という場合もあり得る。これは相手の好みを熟知していることで自分の好みとの差異を緻密に認識することができるからです。「親しく近しい人」は「信頼性が高い」か「自分との好みの差異を客観視できる」存在ということです。

 では翻って「友達でも家族でもない映画館や映画ファン」がそのような存在に近づくためにはどうすればよいでしょうか。「信頼性を高めること」は「利害関係から離れてその映画に対峙した結果としてのツイート」が重要と思います。特に映画館は駄作に対する発言に慎重であるべきです。

 また「自分との好みの差異を客観視できる」ためには、逆説的ですが「親しくなること」です。SNSにしろ現実にしろ、長いつきあいが大切。なので塚口サンサン劇場のように映画館ツイートが「友達のように感じる」存在であろうとするのは長期的にみて正しい方向性だろうと思います。

 ただし、前にも書きましたが「一人の人間に高負荷をかけるようなツイートのやり方」はリスクが高く、属人的な要素が高いので誰でもできるというものではありません。なので他の劇場もサンサン劇場と同じことをすればいいのでなく、自分達なりに「親しい存在」を目指すべきでしょう。

 <補足>
 「相手(の好み)を熟知している」について、「相手が面白いというから自分は面白くないだろう」など極端な例を挙げましたが、これは例えば「アクション映画の好みは自分と同じだから面白いというなら面白いと予測できるが、恋愛映画に関しては全く好みが違うので、面白いと言っても多分面白くないだろう」というように、非常に部分的な「自分との差異を客観視できる」ことが重要である、という意味です。


 (2014年1月16日記載/2016年1月20日補足)