あたまのなか研究室

ピクルス(2代目)とぶらいあん(初代)の研究室です。

『カルメン故郷に帰る』が果たした役割

 『カルメン故郷に帰る』は、昭和26年の「日本初」とされる「総天然色」映画である。
 公開時「日本初」と大々的に宣伝されたが、正確には「日本のカラーフィルムとして」であり、海外製のフィルムとしては戦時中の国策映画にいくつか存在するようである。

 ところで「総天然色」というのは「総」がつくところがミソで、「天然色映画」というのはカラー映画、総天然色映画というのは「オールカラー映画」のこと。天然色=カラー映画というのは実質的にはパートカラー映画のことを指す。(今でいうと、ハイビジョンがフルハイビジョンの半分の、言うなればハーフハイビジョンというようなものが近い。それは次段階において、前段階が「実は今までのは完全ではありませんでした。今度のは完全です」という、「規格変更」や「新商品」においてよく見られるものである)

 当然ながら、この映画以前にも天然色映画はあった。作品名は寡聞にして知らないが、白黒で始まった恋愛ドラマがお花畑の場面になると突如としてカラーになるというようなものだったという。

 脇道にそれてしまったので、本題に入ると、この映画の基本構成は「のどかな田舎村を舞台に、家出して都会でダンサーになった娘が帰郷したことで巻き起こる騒動を描いた喜劇」である。

 この村の人々は「文化」というものが何かよくわからない。
 娘きんの父親は「(これからの)日本は文化だよ」と村長に言われて「じゃあ、きんが文化ってやつなんですかい?」と言う。この時点で、カルメン(きん)は「舞踏家」ということになっている。のちの場面でカルメンは「踊り子と一緒にしないで。芸術って大変なのよ」と言う。実際のところはストリッパーである。(ただし私は必ずしも、ストリップが芸術ではない、と言っている訳ではない)

 さて、最初ににも書いたが、これは昭和26年の映画である。つまり、日本が占領下にあり、映画についても検閲されていた時代である。
 日本初のキスシーンがある映画『はたちの青春』は昭和21年、ガラス越しのキスが話題になった『また逢う日まで』が昭和25年。
 今の目からするとほのぼのした印象が強い本作がこの時期に制作されたことの意味は何だろうか。

 ※ここからは、何の資料にも基づかない、推測にすぎないことをお断りしておく。

 簡単にいうと「裸」である。

 占領軍情報局の3S政策の一つであるセックスをどう展開させるか、という点において「キス」の次の段階が「裸」である、と考えるのは全く自然な流れであろう。

 アメリカにおいて、セックスは文化である。
 正確に言えば「大人がセックスについて明るく語りうること」が文化なのである。

 この映画では、山麓を背景にカルメン達の肢体が明るいダンスとともに惜しげもなく披露される。
 これは当時の一般的な人々にとってはかなり衝撃的だったであろうと思われる。
 まだ日本では肌を露出することが「はしたない」とされた時代であることを考えるとこれはすごいことだろう。

 ふつうの映画に限りなく裸に近い肌を出す。これがこの映画の目的なのである。

 そういう意味において、きんの父が発言した「きん(カルメン)=文化」の意味は大きい。

 この映画は「文化を知らない田舎者(=当時の日本人)に文化を教える」という教育映画なのである。

 (2012年8月4日)


 
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