あたまのなか研究室

ピクルス(2代目)とぶらいあん(初代)の研究室です。

浅倉久志と伊藤典夫とラファティ

 今月刊行された、R・A・ラファティの新刊短篇集『昔には帰れない』(ハヤカワ文庫。伊藤典夫浅倉久志訳)には訳者であり編者の伊藤典夫氏による「あとがき」がついている。そしてあとがきなのに珍しくタイトルがついている。

 ハヤカワ文庫では通例「訳者あとがき」「編者あとがき」の場合、別題はつかない。第三者による「解説」ではよくあるが、あとがきでは珍しい。「編者あとがき」でも「訳者あとがき」でもない「あとがき」という表現も珍しいと思うが、実は本文中や目次には「あとがき」の文字はなく、本文中の左頁上の見出しに「あとがき」とあるだけなのだった。

 タイトルは「浅倉さんのことその他」。11頁に及ぶ内容の大部分はラファティについてであるが、前半部、ラファティを絡めて、亡くなられた浅倉さんとの想い出を語っている。

 しかし中にはラファティの話から逸脱し、浅倉さんとの作品に対する好みの違いから意外な話を明かしている。
 翻訳SFファンならずとも有名なアンソロジー、<SFマガジン・ベスト>の2冊(『冷たい方程式』『空は船でいっぱい』)は、浅倉久志伊藤典夫の共編として知られているが、実はこれが共編ではなく、それぞれの編著だったという。

 この「あとがき」には以上を含む興味深いことが書かれているので、浅倉=伊藤ファン(は当然買っているでしょうが)のみならず、興味のある方はぜひ一度読んで頂きたいと思う。

 カート・ヴォネガットフィリップ・K・ディックラファティなどの新しい短篇作家などを紹介してくれた浅倉久志という人は、SF少年にとってはアイドルだったといっても言い過ぎではない。「浅倉久志訳」というのは、知らない作家でも面白く読めるという信頼のブランドだった。

 浅倉さんは2010年に亡くなられたが、正直なところ自分にとっては未だに実感がない。唯一の著書『ぼくがカンガルーに出会ったころ』は生前に買ってはいたが、読んでしまうと本当に浅倉さんが自分の中からいなくなってしまうような気がしてまだまだ読み始める気にならない。

 で、今回の文章で気になったことがある。「数年まえ、僕が脳出血をやって生産量が落ちて」と書かれていることである。
 なぜならSF少年だった頃のもう一人のアイドルが伊藤典夫さんだったからです。

 今はもうかつてのようなSFファンではないけれど、伊藤典夫さんには今後も健康で長生きして、たまには訳書や、可能であれば1度でもいいのでエッセイ集を出して頂きたいと思います。

 (2012年11月24日)



昔には帰れない (ハヤカワ文庫 SF ラ 1-4)


ぼくがカンガルーに出会ったころ