あたまのなか研究室

ピクルス(2代目)とぶらいあん(初代)の研究室です。

ワンショットの衝撃『我が家は楽し』

 シネ・ヌーヴォ我が家は楽し』(松竹、昭和26年)

 貧しくてでも明るく家族思いの一家は、でも貧しくて苦しくてうまくいかなくて苦しい。
 しかし彼らのささやかな幸福は最後の最後に紙一重のところで守られます。
 めでたしめでたしで幸せそうな一家の様子が障子の影に写っているところで話は終わります。

 ところがその次の瞬間、家族以外の人間の様子がワンショットだけ入ります。
 貧しい一家に部屋を貸すことを決めた、裕福な一人暮らしの老人が、幸せそうな一家の様子を(影と声だけで)窓から見ています。
 笑顔を浮かべたあと、寂しそうに窓の中に引っ込む、わずか数秒のショット。

 この老人には家族はいません。戦争で家族を失っていたのかもしれません。
 彼には「誰かと苦楽を共にすること」さえできないのです。

 これは、「貧乏だが家族があることの幸せ」に対する「裕福だが家族のいない(あるいは失った)寂しさ」の強烈なコントラストになっています。「幸せな一家」が強調されるほど、老人の孤独が浮き上がるという、相当に残酷なショットです。

 この映画は「お金がなくても温かい家族がある一家の小さな幸せを描いた話」ですが、同時に「お金はあるが家族がない老人の深い孤独を描いた話」でもあったのです。

 白状すると、それまでかなり冷静に観ていたはずだったのに、不意を突かれたこの最後のワンショットで、瞼が潤んでしまいました。

 このワンショットがあるとないでは全く違った印象の映画になっていたように思います。

 ワンショット、恐るべし。あらためて映画とは本当に恐ろしいものだと思いました。

 (2012年11月16日)