あたまのなか研究室

ピクルス(2代目)とぶらいあん(初代)の研究室です。

ビーチボーイズ大阪公演について、その直後に思ったこと

ビーチボーイズ大阪公演、大阪府立体育館だと思っていたら、大阪市中央体育館だった、ということに、向かう直前に気がつきました。思い込みってこわいですねえ。 と、いう訳で行ってまいりました。ビーチボーイズ。満喫してきました。色んな思い入れが爆発です。

少し遠かったけど、今回スタンドにして正解でした。発売日に買ったとき、アリーナは抽選でどこになるかわからないと言われ、だったらとスタンドの一番前の列で、ステージよりの端の席を選択。おかげで誰に邪魔されることなくじっくり観賞できました。

ブライアンの体調は心配ですが、日本に来るまでは2部構成で40曲以上やっていたのを10曲以上減らしてその分をアメリカにフォローしてもらう体制に変更したのは、それが大きいのではと思ったり。ブライアン以外はみんなやたら元気そうなんだけど。

(注:追記)今回のワールドツアーは70カ所に及ぶようです。ブライアン単独のツアーでも体調の浮き沈みはあったようですが、今回の規模はかつてないもので、その負荷は相当なものでしょう。だからここではっきり言いますが、この規模のツアーにブライアンが参加することは、もう無理です。今後、ブライアンのソロツアーはあるかもしれませんが、ビーチボーイズとしてはおそらく今回が最後でしょう。でも、ブライアン抜きのメンバーで行うことは不可能じゃない。ファンの数は半減以上するでしょうし、ブライアン原理主義者は絶対に認めないでしょうけど、マイク主導のビーチボーイズは、アメリカでは受け入れられ(てい)るでしょうし、半分だけの魅力というのは確実にある。サニーサイドだけのビーチボーイズ。それもまたビーチボーイズだと思います。

マイクは異常なくらい元気だった。彼が「いとこのブライアン」と言ったとき、これは彼のバンドなんだな、と思った。確かにバンドを存続してきたのは彼だ。彼の力も大きいけれど、名曲の大半はブライアンなしでは生まれなかった。どちらも必要な存在。

(注:追記)「いとこ」と言えば「いとこのマイク・ラブ」なのである。その反対の目線なんて考えた事もなかった、というファンは多いのではないでしょうか。「いとこのブライアン」この言葉は言わば「世界観の転倒」で、軽い衝撃を覚えました。

正確にはサポートメンバーをみてもわかるように、マイクバンドとブライアンバンドとアルの合体という感じ。90年のイエスのリユニオンを思い出す。あの時はパートが被ることもあって結局一時的なものに終わった。彼らもそうならないといいんだけど。

(注:追記)デビュー22年頃のイエスと50年のビーチボーイズの状況を比べるというのもかなり無理がありますねえ。まあそのときに思った、ということです。

デニスの次にカールの映像と歌に合わせて始まった『神のみぞ知る』God Only Knowsに、どわわわと涙。ライブで初めて泣く。自分がファンになった時デニスはいなかったけどカールはいた。ああカールは本当に死んでいた、と今頃実感した。

ある意味カール達との告別だったのですが、今までその実感がなかったのはずっと聴いてきた曲の中で彼らが生きていたから。だからこれからも僕の中でずっと生き続けるでしょう。この曲を作った時長男だけが生き残るなんてホント神のみぞ知る、だよね。

 (2012年8月17日24〜36時のぶらいあんのTweetより抜粋。注を追記)

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