「ブレない人」
近年の流行ことばに「ブレない」というものがある。
「あの人はブレない人だね」「あの人はブレまくりだ」「おまえはブレるな」というような使い方をする。
この言葉に違和感がある。
正確に言えば、この言葉の使われ方に違和感がある。
特に他人に対して投げかけられるときだ。
そもそも、ブレない、ということはいい事だろうか?
自分は善き人で、これからも善き人である、と自負する人にはその通りだろう。
しかし、例えば、ヤクザなど「悪人」とされる人がときにはいいことをしようかと思うのは「ブレてる」から悪いこと?
自分はまだまだ善き人ではなく、そうなろうとしている過程の人は、成長する段階において、言っていることが以前と違ってくる。それも「ブレてる」から悪いこと?
違いますよね。
ではなぜ人々は「ブレてるか否か」を重視し、「ブレない人」を求めるのか。
それは、人々が、自分のまわりの人間を判断するときに、「あの人はいい人」「あの人は悪い人」「あの人は裏表のある人」「あの人は男と女で態度を変える人」などというレッテルを貼りたいからである。
レッテルを貼っても、ブレてしまうと、またその人物の判断を修正し、貼り直さないといけない。その人がいい人だろうと悪い人だろうとブレないでいてくれたらレッテルを貼りかえる必要はまったくなくなる。すごくラクである。
つまり「ブレないでいてほしい」というのは、人間関係における「手抜き願望」なのだ。
私たちの社会は「便利こそ正義」と言わんばかりに、いかにして「手を抜くか」をずっと考えている。
しかし、中には「手を抜くととんでもないことになる」場合がある。
人間関係における手抜きは、他人への配慮や立場への想像力の欠如につながる。
人間関係の手抜きが起こるのは、多くの人々が対人関係に疲弊しているからだろう。
この社会はそれほどに弱ってきているのだ、と思う。
(2012年8月9日)