あたまのなか研究室

ピクルス(2代目)とぶらいあん(初代)の研究室です。

フィオナ・タン映像展「まなざしの詩学」について

 フィオナ・タンの映像展(国立国際美術館、2014/12/20〜2015/3/22)を2回に渡って観てきた印象についてツイートした内容です。全14作品のうち、特に印象に残ったもの、正確に言えば、うまく言語化できなかったもの以外について書いています。アーティストトークに関してのみ追加しました。

 フィオナ・タン映像展「まなざしの詩学」(国立国際美術館)を再訪。前回初めて観たときの「映画という制約に何らとらわれない映像の可能性」に衝撃を受けたのですが、2回目は冷静に観ることが出来ました。しかし冷静になるほど面白い映像感覚で、映画をよく観る人にはかなりの刺激になると思います。

 フィオナ・タン映像展(国立国際美術館)「ゆりかご」(幼児がゆりかごに揺られるループ映像)「リフト」(幼児が多数の風船で浮遊する映像)「ティルト」(本人が多数の風船で高く舞い上がる映像)これら初期作品に通底するのは「自身をコントロールすることの困難さと、身を委ねる快感」だと感じる。

 フィオナ・タン映像展(国立国際美術館)「ロールⅠ&Ⅱ」雪の坂を転がり落ちる女性(本人)の数分のループ映像。ずっと観ていると永遠に転がり続けるような、それでいてほとんどの人が体験したことのない感覚(たぶん快感)が伝わってきて、それを観ながら立ち続ける自分がおかしな存在に思えてくる。

 フィオナ・タン映像展(国立国際美術館)「ダウンサイド・アップ」歩道を行き交う人々を撮影したものを上下反転して上映しているだけのはずが、不思議な感覚に捕われる。「影が人物に見え、人物が影のように見える」というこの作品は「主人と隷属の反転」または「実態と虚像のゆらぎ」のように思える。

 フィオナ・タン映像展(国立国際美術館)「プロヴナンス」6つの小さなスクリーンに映されるそれぞれの人々の生活の様子を時間の長さを少しずつ変えてループしている。同時に見ていると「世界においては、自分以外の人々も自分が生きている時間にシンクロしながら生きている」という現実を体感させる。

 フィオナ・タン映像展(国立国際美術館)「ライズ・アンド・フォール」縦方向のワイドスクリーンを横に二つ並べ、瀑布、老女と若い女をそれぞれ交錯しながら映している。老女の過去の人生を夢や回想で表現しているように見え、タイトルは夢や回想に落ちたり戻ったりを、水は時間の不可逆性を思わせる。

 フィオナ・タン映像展(国立国際美術館)「インヴェントリー」彫刻物などの歴史的骨董品が大量に所狭しと置かれた部屋を、5つの異なるキャメラメディアで撮影し、異なるサイズの画面に映し出す。これは「ある事象を異なる視点から見ると、違って見える」ことをそのまま明喩しているかのように思える。

 フィオナ・タン映像展(国立国際美術館)「影の王国」世界がアーカイブなら自分は何を選ぶか、という問いを描いた50分のドキュメンタリー。写真家等を訪ねるが、印象深いのは「素人の撮った作品に傑作が多い」こと。写真家が撮るときと身近な人が撮るときの違いや何気なく撮った写真がハッとさせる。

 フィオナ・タン映像展(国立国際美術館)「興味深い時代を生きられますように」初期の私的な60分のドキュメンタリー。異なる国の両親と数多くの国で育った彼女自身のアイディンティティを探る旅。自分にはルーツを実感できる場所がない、と彼女は語るが、「全ての国が源流」なのではないかと思えた。

 フィオナ・タン映像展(国立国際美術館)12月21日に開催されたアーティストトーク。作品をより理解しやすい内容。印象的なのは、風船に吊られる一連の作品に関した質問に、映画「赤い風船」はここ数年前に知ったとのこと。この短篇を明るいファンタジーと解した彼女は前向きな人なのだろうと思う。

 (2015年2月8日、最後のもの以外はTwitterにて初出)